世の中の基礎の基礎にあるもの

とかく表面的なことに流されやすい現代の中で、社会のこと、人間のことについて、"なぜそうなっているのか"ということをいろいろと考えていこうと思います。

財産や地位があれば、人は幸せに生きられるのか

世の中では、財産や地位というものが、人間の社会的評価にとって大切なものだ、とされている。

そしてまた、それが個人の幸せをも作り出し、それがあれば、もっと楽に、もっと幸福を感じながら生きられる、と思っている人たちもいる。

そして自分にはそれが備わっていない、と感じているために、そのようなものをすでに得ている人々を羨んだりする人々もいる。

確かに人間は「外」から見れば、千差万別で格差はすごい。ある人は、豪華な邸宅に住んでいる一方、ある人は家すらない。ある人は何万、何千万という人々に影響を与える一方、ある人は、誰からも見向きもされない。

 

しかし一方、人間の「内」は、はるかに平等だ。

誰だってそれなりの食事を一日に何回か取らなきゃならないし、何時間かは寝なきゃならない。十分に睡眠時間が取れないまま朝起きることも、誰だってきつい。いくら豪華な食事があったとしても、食べ過ぎれば太って体にいろいろ不具合が起こってくるし、糖尿病になって一生インスリンを打ち続けなければならなくなる。

こういったことは、誰だって同じだ。金持ちも貧乏人も、精神や肉体は平等なのだ。

 

そして、少しでも「正しく生きよう」とすれば、自分のことよりも、他人のこと、仕事のこと、家族のこと、社会のことを考えなければならない。それに、そのような精神的、肉体的誘惑に打ち勝とうとしなければならない。正しいことをしようとする限り、その事実は変わらない。

人間はただ、自分が置かれている今現在のその「内」と格闘し、自分を高めたり、技能を磨くことしかできない。

 

「行動」における人間の真実は、このような単純なものであり、それにまた、世の中のあまりに多様な権利、社会問題に対する人々の態度は、なんとかその真実から目を背け、自分がそんな面倒なことにかかずらうことを回避したい、また自分がいまのままでよいと思いたい、という魂胆がその根底にある。

それがある限り、それらの問題はまったく本質的でなく、それについて語る価値も、本来的にないであろう。